和菓子職人・井上さんとの出会い

先代に声をかけられて

孫三総本家・花詩では、これまで何人かの和菓子職人と共に歩んで参りました。
本日は、その中のお一人である井上さんについてお話をしたいと思います。

井上さんは、はじめは和菓子職人ではなく、どこかの工事現場で働いていたそうです。
ひょんなことから先代と出会ったようで、そこで先代は井上さんに、「工事現場の仕事は体が動けなくなったらたいへんだから、和菓子職人になってみないか?」と話しかけたそうで、それがきっかけで井上さんは和菓子職人として孫三総本家の工場に入ることになりました。

それが性にあったのか、元来とても丁寧で、手抜きをしない性格もあり、めきめきと腕を上げていったそうです。

温泉餅の達人へ

いつの頃からか、温泉餅の制作は井上さんに任されるようになりました。
私も子供の頃に工場に出入りしてその仕事ぶりを見学していましたが、一つ一つの仕事が丁寧で、流れるように作業が進んでいきます。温泉餅をこねるところ、型に入れるところ、そしてそれを切っていくところ、そういった手仕事の一つ一つがとにかく丁寧。そして無駄がないのです。温泉餅を作る仕事が終わった後は、当然道具を後片付けするのですが、その後片付けもピカピカに、まるで新品であるかのようにきれいに磨き上げます。合理的な感じなのです。

その井上さんは、ベテランの域に入ってくると、温泉餅を作る際に、季節や天候に合せて微妙な加減をしていたそうです。
暑い日もあれば、寒い日もあります。
作業の工程の見た目は、いつもと同じでありますが、その都度その都度、毎回、毎回、その内容には絶妙な調整が加味されていたのです。
そのため、いつ温泉餅を食べても同じ味、同じ食感で、安定した味を提供することができていたのであります。

どんな思いで作っていたのか・・・

井上さんは、歌手の八代亜紀さんの大ファンでした。
時々私は井上さんの車に乗せてもらっていたのですが、BGMにはたいてい八代亜紀さんのカセットが流れていました。『雨の慕情』『舟歌』など、定番はこの井上さんの車の中で覚えたくらいです。

あるとき、孫三総本家・花詩への取材で、直接八代亜紀さんがいらっしゃることになりました。
八代亜紀さんが、工場で温泉餅を作っているところを見学するシーンを撮ったそうですが、井上さんはいつも通りに淡々と作業をしていたそうです。

しかしその心境はいかばかりだったのでしょうか?

憧れの人が目の前にいて、自分の手作業を見学している・・・。
普通なら緊張しそうです。
しかし、いつも通りに黙々と、淡々と作業をする。
その時の心境はどのようなものだったのか?
やはり嬉しいものだったのか?気恥ずかしい感じもあったのか?
正直な井上さんの心境を伺いたいところですが、今はそれも叶いません。

井上さんへの感謝

井上さんは、突然倒れました。
そして、80歳の生涯を閉じられました。

生前、私はある時、井上さんにいろいろ尋ねたことがあります。
例えば、生まれたところや、どうして箱根に来たのかなど・・・。

井上さんは東京の出身で、高校は有名な都立高校を卒業したそうです。
しかしいろいろなことがあって、大学への進学は諦め、さらに流れ流れて箱根にたどりついたとか。
そしてその箱根で孫三の先代と出会い、和菓子職人の道へなったわけですが、井上さんは、この道のりを全く後悔してないそうです。
後悔していないばかりか、先代に拾ってもらって、和菓子職人として満足できる仕事が出来るようになったことを、感謝していると話してくれました。

私たちは、井上さんのお陰で今日があると思っています。
温泉餅をこれほどまでにおいしく仕上げ、伝えてくれたこと。
私ども家族は、井上さんへの感謝の気持ちでいっぱいです。

この伝統を次の世代にも伝えていくこと、そしてこの味の火を絶やさずに受け継いでいくことが、何よりもの井上さんへの感謝になるのではないかと思っています。

和菓子職人・井上さん(C)孫三総本家・花詩Hakone Sweets

温泉餅への思い

井上さんが旅だった後は、残された職人で温泉餅を作っております。
温泉餅は、このような思いを受け継ぎながら、お客様のことを思い、日々精進して大切に作っております。
箱根にいらした際は、伝統ある箱根の和菓子を召し上がっていただけたらと思います。

箱根・温泉餅・箱根のお土産おみやげに(C)孫三総本家・花詩Japanese-sweets-wagashi