田山花袋の『温泉めぐり』

田山花袋と温泉

温泉で小説を執筆したというのはよく聞くお話しです。

温泉と物書きは仕事がはかどる組み合わせなのでしょうか?

旅好き、温泉好きということでいえば、右に出る者はいないといわれるのが、田山花袋。
田山花袋といえば、『蒲団』『田舎教師』などが有名で、自然主義文学を確立した一人として歴史に名を刻んでいます。
そんな田山花袋は、当時の旅の装い、つまり手甲脚絆の姿で全国を旅し、そして旅先にある温泉で一服一興。

そのお話しをまとめたのが、『温泉めぐり』という一冊。

この本が出たのは大正7年のこと。
まだまだ明治の時代が近い頃。
本書を読むと、当時の旅がいかにたいへんであったかがよく分るわけですが、そんな困難な旅の末に現れた温泉は、さぞかし格別なものに感じられたに違いありません。

旅というのがまだまだ一般庶民には遠い存在だったにであろう頃、本書は今でいうところのガイドブック的な役割もこめられて、袖の下に収るサイズで出版されたそうです。

それにしても、さすが文豪です。
本書は単なるガイドブックに留まらず、淀みのない一級の随筆集に仕上がっており、当時の旅や温泉めぐりの様子を知りたい方にはとても面白くためになるかと思います。

ひょっとして・・・もしや・・・?

田山花袋が歩いた足跡をたどる

本書を読むと、ほんとうに田山花袋は全国の温泉場を旅しているんだなぁと感心してしまうわけですが、とりあえず箱根が載っているところを読んでみました。

すると、こんな記述がありました。
少々長くなりますが、引用させていただきます。

塔ノ沢の折れ曲がった渓流に添って建てられた浴舎、渓流の怒号して流れて下る上にかけられた橋、それから路は絶えず美しい早川の流に添って、ところところに白く咲いた卯の花の雪、やがて大平台から深い谷、それから宮ノ下のとある旅舎で昼飯を食って、万年橋から底倉、木賀、宮城野の手前で左に山に入って、新強羅の大きな浴舎、それから長い林の中を穿って、そして山の上のさびしい強羅温泉に来た。

引用した上の文章の下線はこちらで引いたものですが、この既述は、ひょっとして、孫三総本家のすぐ近くにある、強羅駅へ向かう坂道のことではないでしょうか?

もし宮ノ下から強羅に向かうとしたら、現在でいえば国道一号線で左に登っていきますが、そこを登ってしまうと底倉、木賀は通りません。

現在宮ノ下で国道1号線と国道138号線が分かれますが、138号線の方へ向かえば底倉、木賀、そして孫三総本家がある宮城野へ行きます。

宮ノ下から宮城野へ行くには、蛇骨川という川を渡らなくてはいけませんが、現在そこには高い橋がかけられています。
谷から相当高いところにかけられている橋ですので、おそらくそこまでの技術がなかった当時は、現在の位置に橋はなく、もっと下のところに橋がかけられていて、それが万年橋ということではないかと思います。この谷の下には、豊臣秀吉がつかった太閤の岩風呂がありますが、どうやってあんなところに入ったのだろうというくらい下にあります。それは当時の道は今よりもはるかに下を通っていたからという単純な話だったのかと、逆にこれで合点がいきます。

ちなみに万年橋は明治14年に描かれた浮世絵に描かれています。

箱根底倉万年橋

田山花袋もこの橋を渡って宮城野方面へ抜けていったのでしょう。

そして、”宮城野の手前”ですから、宮城野に入る手前にある坂道を左へ登っていったのであろうと考えられます。

この坂道の下にはバス停があり、少し前までは「強羅坂下」という名前でした。
しかし強羅はもっと上ですから、強羅坂下と呼ぶにはだいぶ離れすぎていると思って、子供ながらにとても違和感を感じていました。

でも、この田山花袋の文章を読むと、まさにこの坂を登るところが、まさに“強羅へ向かう坂下”であることが分り、おそらく「強羅坂下」というバス亭名を付けたときは、そんな印象が残っていたのではないでしょうか。

健脚であっただろう田山花袋

箱根・孫三総本家があるところの坂道は、とても急です。
雪が降った日には、多くの車がスリップをしてしまう難所です。

田山花袋はこの坂道を歩いて登っていったのか・・・。
しかも湯本からずっと歩いてきたようなのだ。
すごいことです、ほんとに健脚とはこのことをいうのでしょう。

田山花袋の『温泉めぐり』を読むと、木賀や宮城野は秘境として描かれています。
車社会の今日、箱根が秘境とはとても思えませんが、歩いて登るしか手段がなかった頃は、まさしく秘境だったことでしょう。
『温泉めぐり』は、そんな田山花袋が生きた当時に思いを馳せながら読んでみると、かなり面白い本ではないかと思います。
箱根だけではなく、全国の温泉場が描かれているので、そこに行くときにめくってみるのもいいかもしれません。

“ひょっとすると”というよりは、もっとかなりの高い確率で、田山花袋は孫三総本家のすぐそばを歩いていたと思われます。

では、田山花袋は孫三総本家の温泉餅を口にしたでしょうか・・・?

うーん、田山花袋がここを歩いた時代はまだ創業していなかったので、それはないです。

でも、“ひょっとして”、うちの先祖の誰かは田山花袋の旅姿を見かけているかもしれない・・・と思うと、少しばかり楽しくなるのでありました。

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